About MORIHICO. Vol.03

路地裏への愛着

 雪が降った朝の森彦は、少しだけ早起きだ。オープンの1時間前にはスタッフが出勤し、店の前の雪をかいてから、外に積まれた薪を使う分だけ運び入れる。鋳物のストーブに薪がくべられると、ぱちぱちと音を立てスモーキーな香りで空間を満たしていく。

 1990年代のはじめ、円山の小さな木造民家から森彦の物語はスタートした。神宮の森のそば、細い路地にひっそりと構える古い建物は戦後まもなくの建築で、目の前の通りはお寺に続く墓参道として往来があった。碁盤の目のように区画された札幌の街には珍しく、小路は斜めに走っており、土地勘のない大人をしばしば迷子にしてしまう。そんな風情を残す界隈も、当時、デザインの仕事に就いていた市川を釘づけにした。
 すでにみずからの手で茶室をつくり、人と交わるよろこびを知っていたことから、ここで仲間うちのサロンのようなことをできないものかと、妄想をふくらませた。思えば叶うもので、建物を手に入れることができたとき、中も見ず、条件も聞かずに契約した。  このとき、市川は25歳。向こう見ずだと思われそうだが、実は、昔から喫茶店づくりの夢をあたためていた。東京で暮らしていたころ、コンクリートの生活に辟易し、よく路地裏を探索した。すると、不思議といい店に行き着いた。大きな看板などあるわけもなく、わざわざ探さなければ辿り着けないロケーション。

「でも、そういう店ほど長く続いていて、時を重ねた豊かさがある。店主の徳によって、お客さんが愛情を注ぎ育てているみたいな。メインストリートでは決して築かれることのない、店とお客の親密な関係。僕はそれを『路地裏の真実』とひそかに呼んでいたんだ」。


路地裏への愛着 路地裏への愛着
路地裏への愛着

80〜90年代の札幌にも、店主の個性が光る名店がいくつもあった。若い市川は彼らに憧れ、コーヒーを飲み干すころには充足感と羨望に包まれた。いつかは自分も…。

  さて、手に入れた民家は夢の続きを再現すべく喫茶店に改造。友人知人、親兄弟を動員してのセルフビルドだ。天井を剥がし、床を張り替え、構造以外の壁をとっぱらう一大工事となった。作業はおのずと週末に集中したが、忙しいといっては中断し、暑いといってはビールを片手に休み休み。気がつけば足かけ3年を費やしていた。

 1996年の初夏、店が完成したとき市川は28歳になっていた。 小さくも魅力的な森彦は歓迎される一方で、こんな場所で商売が成立するわけがないという声も、ほうぼうから聞こえてきた。

 「人生を賭けた実験だった。もっとも、路地裏の真実を見てきたから、失敗するとは思えなかったけれど」。さらに、市川は言葉をつなぐ。「円山の森彦が若い人の希望になったらいいと思う。創意工夫があれば、事業はできるのだと。僕も先輩たちの姿に教えられたから、そのリレーができれ ばいい。事業を起こすのは薪ストーブで火を焚くのと似てる。最初は小さな枝から火を点けて、しっかり燃焼させることがだいじ。いきなり太い薪では燃えないからね」。